女のつかみ取り

2017/8/24() 午前 6:12

 

 女房持ちの律儀なつとめ人ほど可哀相なものはありません。

 元はと言えば行きずりの、赤の他人に過ぎなかった女を、一旦女房と決めてしまうと、

それっきり手足を縛られて、飼い犬のように鎖につながれ、吼えることさえ自由にできない。

 

健康で人生を楽しむというのは、要するに異性を楽しむということではないか。

 

  もし自分が独身だったら、どんなにのびのびと楽しい生活ができるだろうか。

 経済的に自由であり、精神的に自由であり、行動もまた自由である。

 今ならまだ出来るが、あと5、6年過ぎれば自分は老境にはいって、もはや自由を楽しむだけの能力を失う。やるならば今のうちだ。

  石川達三 「48歳の抵抗」 より

 

 相場戦略研究所っていうサイトを長くやってるが、俺の相場戦略は結局どうだったのか。

 相場専業で食っていくという基本戦略は達成できたし、自分の会社と社長という地位も得た。投資会社経営は12年目、経営力に問題は無い。

 事務所と役員社宅を隣り合わせに借りていて、5LDKにゆったりと住んでいる。社有車つき。

 愛人も5、6人できたし、ジャズLP、CDも千枚以上あって、毎日15インチ ウーハーのJBLで楽しんでいる。

 経済的自由、精神的自由、行動的自由。

 欲しいものは相場で すべて手に入ったなー。

 

ただ、心残りは若い頃、女の子と十分遊べなかったことかな。これは人生の忘れ物。

 25歳の時に相場専業で食っていく志を立てたから、若い頃から人生の裏街道を歩くはめになって、人並みの世渡りをしていない。

 

 妻子なんか持ったら、不安定な相場で食っていけないから省略した。

 人生に犠牲は付物である。

 話に聞くと、女房持ちには自由がなく、しかも女房はうるさくて意地が悪いって言うぢゃないか(笑)

 

 一方、独身の俺は未だに、母親に身の回りの世話をしてもらって ぬくぬく暮らしている。

 10時のお茶、朝昼晩の食事、洗濯等々。

 母親は息子に優しいし、投資会社の秘書として給料を払っているから、逆に とても感謝されている。(お母様、いつまでも元気でいてね!)

 

 税金は払っていないし、年金もほとんど未加入である。子育てはしない。(できない)

 国民の義務はほとんど果たしていないから、お国のためにならないダメ男である。

 

 井原西鶴の好色一代男の主人公、世之介は人生のすべてを女遊びに明け暮れた挙句、還暦の60歳の時、女だらけの女護島で女のつかみ取りをするため船出した。

しかし、物語はここで終わってしまう。

 

 物語にない60歳からの『女のつかみ取り』を世之介に代わって実行しているのが、俺の『これからの人生』である(笑)